「地域は良くするもの」という呪縛からの脱却。半径5メートルの幸せを担保しよう

地方に住んでいると、「この地域を良くするためにはどうしたらいいだろう」といったワークショップ、勉強会などがよくよく開催されます。

こういった場は積極的な意見を持った方が集まり、とてもアツい話が飛び出たりするので、インプットしたり、人が繋がる機会としてはとても良い場だと思っています。

ただ、一つ、大前提を忘れている人も多いな、というか、そもそもを理解していない人が多い印象があります。

過日、秩父で行われたこのような場で、ある移住者の方がこんなことをいってました。

「地域のために良いことをしなければ」「地域が活性化するために自分が何かをすることが、本当に自分の幸せに繋がるか自問自答している」

いや、まさにそうなんですよね。大義名分ばかり目がいってしまい、本当に自分の幸せになるのか、自分がやりたいことなのか、の問いに向き合っている人はとても少ないと思っています。

 

「地域のために」という呪縛から逃れることの大切さ

そもそも、「地域活性」って“一般的に良いこと”と言われていると思います。僕も当然、自分の住むまちが賑わっていて、面白い人がたくさんいるのは、とても良い場所だと思います。

でも、ちょっと立ち止まってみてください。

“一般的に”良い、とされていますが、本当にあなたがしたいことが、地域活性なのですか?という問いはしっかりと向き合うべきだと思います。

なぜなら、それは自分の幸せを軸に考えたのではなく、一般論を軸に考えている可能性があるからです。

世の中って、本当に“一般的に”良いこと、ってたくさんあるんですよ。

例えば「ボランティア活動」。

「ボランティアでやるなんてすごい!」って賞賛されやすいですが、個人的にはボランティアってそれほど良いことではないと思っています。

なぜなら、そこに価値が生まれているのに、お金の流動性をせき止めているから。経済は循環してなんぼの世界。価値を生んだ以上対価を得る仕組みにしないと、経済が循環せず、富も人に配分されないわけです。

まあ、これは極端な例ですが、大事なのは他人が決めた尺度で“良いこと”を考えず、自分の頭で考えろってこと。

 

自分すら幸せにできない人は、他人を幸せにできるわけがない

何かの行動動機は究極的には「自分の幸せに繋がるか」という利己的なもので良いと思うんです。

自分すら幸せにできない人が、他人を幸せにできるはずがないですからね。

10日間も飲まず食わずの人から、「こ、これ食べてください…」っておにぎりを差し出されても、「いやいや、あなたが食べてくださいw」ってなるじゃないですかw

一般的に“良いとされること”から脱却して、自分の幸せを担保できるか、それを考えるべきです。

「地域活性」も全くもって同じ文脈で語ることができます。

よく、地域を良くしたいという集まりには「地域が抱える課題」という言葉が出ます。

「課題をどうにかせねばなー」「大きな課題を抱えている」

そうそう、課題に向き合うのは大切ですが、それって本当に自分が解決したい課題ですか?その問いに向き合うことが大切です。

おそらく多くの人が、その問いに向き合った時に、「そりゃその課題が解決されたら良いけど、とことんコミットして課題を解決したいとは思わない」となるんじゃないかと。

だから良いんですよ、普通に暮らしている人が「人口減少がどうだ」とか「若者が来てくれない」だとか…あまり考えすぎないほうが。

まずは、自分の周りの小さな経済圏にコミットして、自分、そして周りの人を少しずつ幸せにしていけばいいんです。

みんながそうやって半径5メートルを大切にしていけば、それは一つの大きな円になります。その繋がってできた大きな円が、結果的に「地域活性」になりますから。最初から大きな円をみて、行動を起こすのは難しいです。愚直に目の前の幸せに向き合いましょう。

話はそれからです。

 

※ちなみに「半径5メートル」ははあちゅうさんの本からイメージしてますwタイムリーですからね…とってもとっても良書です。

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