最近、お金をもらえているのに、なにか充実しない…ということが増えてきていて。それはどんな原因があるんだろう、と考えを巡らせていました。そこで気づいたことがこれ。
自分がその時間に対し、納得しているかどうか、だけが重要なんじゃないか。
何をするでも、いくら稼ぐでもない。「納得」することだな。— あざみっくす (@azamixx821) 2017年10月25日
そう、自分が費やしている時間に納得できているかどうか。これに限るなと思ったわけです。
有限の財産「時間」
僕らは悲しいかな、生きている以上、必ず死に向かっています。例外なしに、命を削って日々を生きています。そんな僕らに与えられた共通の財産が「時間」です。
この「時間」と「お金」を掛け合わせて思考していくとなかなか面白い。いろんな矛盾が見えてきたりします
アルバイトでも会社員でもフリーランスでも、自分の働いた時間を時給換算で考えることって多いですよね。換算するということは、同じ価値を持っていると自分でわかっているから。
でも、逆にお金を時間に逆算することってあまりないんじゃないかなって思います。
1万円使って、どのくらい時間が節約できるか。5,000円/時の節約みたいな。
ここに大きな矛盾があるんです。
時間はお金に換算するのに、お金は時間に換算しない。
しかも、しかもですよ、先に述べたように、時間は削られる一方、どんな手段を使っても、増えることはありません。
なのに時間→お金の一方通行でしか、僕らは考えないようになっているんです。どんだけお金の奴隷なんだよw
使ったその「時間」本当に納得できているのか?
少し、脇道に逸れました。そこで、出てくる問いは。「使ったその時間は本当に納得しているの?」です。
例えば、自分の財産から毎日10,000円を使うことを強制されたとしましょう。
おそらく誰でも、その1万円をどう有効活用しようか、必死に考えるはずです。
うーむ、仕事に必要なものを買おうか、美味しいご飯を食べようか…
お金という目に見える財産はちゃんと使い道を考えるんです。でも「時間」はどうでしょう。
毎時、毎分、毎秒…僕たちはその「時間」という財産をどう使うか、選択を迫られています。
そこで、お金を使うように、命と同等の価値の時間をどう使っているか、考え抜いているでしょうか。
「時間」の使い方に目を向けてみる
お金は、「ああ、いい買い物したな!」「いいリフレッシュができたな!」って後悔しない、納得できる使い方を心がけるはずです。
であれば、有限の「時間」という財産も同じように考えなければならないんじゃないかって、そう思いました。
そんなことを考えると、かけた時間に対して多くのお金がもらえようが、本当にそれが自分にとって納得できている時間の使い方なのか、お金がもらえるから、ということに流されて、時間の価値を軽視していないか。
そう思うんです。
いくらお金がもらえても、かけたその時間に「納得感」がなければ意味がありません。お金だけに流されず、納得した時間を過ごせているかどうか、そのことにはちゃんと向き合っていきたいものです。