時代は常にアップデートしていきます。
多様性や、自由な生き方、好きなことを仕事に。現代では、そのような価値観が少しずつ常識になりつつあると感じています。
そんななか、地方で活動する自分がよく目にする文脈に「地方創生」があります。
この「地方創生」、多様性とはかけ離れた思考だな、と思うことがありまして…今日はそんな話です。
多様性は選択肢である
多様性って、働き方でも生き方でも「選択肢があり、その選択肢を知れる環境」であることだと思うんですよね。
どこで働いてもいいし、誰と一緒にいてもいい。自分で生きたいように生き、それを支援できる、というのが多様性のある社会だと思います。
でもですね…「地方創生」ってどうなんでしょう。
この場所に止まらせよう、帰ってきてもらおう、人口が増えるようになんとかしなきゃ…って、なんておかしな話なんだろうって思います。
多様性がスタンダードになるなか、「地域」という制限を人にかけるのは、時代と逆行することなんじゃないかな、そう感じています。
インターネットによりもたらされた、地域のボーダレス化
現代に生きる私たちは、インターネットという革新的なテクノロジーを手に入れました。
それにより、すでに地域に縛られる境界線はなくなったと考えて良いのではないでしょうか。
アマゾンが日本に上陸し、町の本屋さんの経営が傾いた。ZOZOができて、わざわざ都会に出なくても、好きな洋服を好きなように買えるようになった。
「地域」というボーダーはすでに無くなった状態だって、火を見るより明らかですよね。
もっと言えば、国の境界線だって危うい。事実、国境を超えた仮想通貨の市場は20兆円を超えたと言われています。(諸説ありw)
そんな時代の流れがある中で、この場所の人口を増やしたい、帰ってきてほしい、止まってほしい、そんなエゴのような「地方創生」は時代錯誤も甚だしい。そう思います。
本質を見失うな、価値のあることをやろう
とまあ、こんだけ好きなことを言っておきながら、僕は地方でフリーランスをしています。もちろん働き方は地域に縛られないものですが、地元で場作りをしたいとも思っている。
要は、どうにもならない力、時代の流れが来ているのをしっかりと認識して、本質を見落とさないことだと思います。
地域の人口を増やしたいなんて、その土地にいる人のエゴ。押し付け以外の何ものでもない気がします…
違うんですよ。もう、インターネットが普及した時点で地域の境界線なんてなくなっているんです。
多様性がスタンダードになる時代において、本当に価値のある地域というのは、あらゆる選択肢を提示し続けられる場所だと思います。
幸いも、人間には「故郷への帰属意識」というものがあると思います。
だったら、その地域に縛ることからやるべきことを導き出すのではなく、いち早く多様性を選択肢という形で提示できる場所にすれば良いのではないでしょうか。
選択肢のある場所で過ごした体験は、必ずやその人の地域愛を醸成させるものと思います。
僕も、選択肢を作り、発信し続けることで、これから大人になっていく子供達に、その選択肢が届くと良いな、なんて思っています。
※この記事のアイキャッチに使った画像は、今構想を練っている「仮想地域」の資料の一部w早く世に出したいなーw